将棋の面白いところと気を付けるところ

生まれ育った街の三角形の公園には9×9の升が描かれたベニヤ板がベンチに釘で打ち付けられているようなところでした。小学生が下校する時間帯におっさんが集まって将棋をしているような昭和の風景を記憶しております。

まぁ,それほど上品な街でもないためおっさん同士の会話もざっくばらんなもので,子供の教育上色々問題があったように思います。その中でも幾つかは教育に良いこともあり,「持ち駒はきちんと見せる」「外野は口出ししない」などと将棋のマナーは教わりました。

 

将棋は言うまでもなく完全情報ゲームです。それ故,他の運要素などがあるゲームと異なり負けた場合の責任は全て当人にあり曖昧な言い訳要素がありません。小学生の子供でもそういうことは分かっているため,負けたときは相当悔しく泣き出す者がでる理由でもあります。もちろん,それ故学べば学ぶほど上達の余地がありますし,そのことは小学生でも分かります。

そして上達すれば小学生でも大人に勝てるのが面白いところです。

プロ入りする新人のエピソードで小学生で既に付近の大人を相手にしなかったなどと言われることは多々あります。

 

では,強くないと面白くないのでしょうか。また,勝たないと面白くないのでしょうか。

これも楽しみ方の問題ですね。私などは対戦相手がいないこともあって随分観る将として楽しんでおりますが,プロ・有段者に関わらず面白い将棋というものはあると感じます。

指導対局駒落ち戦ですら面白いものがあります。

 

例えばですが,駒落ち戦では上手は下手がそれなりにきちんと学んだ手を指してくると困るわけです。どこかで外す手を指す必要性が生じてくるのですが,それは厳密に咎められると悪手となります。つまり,下手が咎められないことを予測して変化を加えるのです。これはプロ棋戦でも行われる事象ですが,駒落ち戦では素人目にも露骨に行われます。どうしても下手がんばれの視点になりますね。

こういった上手の策略に自分の頭で考えてうまく対応ができると勝利になりますが,失敗するとその程度次第で負けになります。この策略の最大の妙手が,「詰めろ見逃し」です。ある程度の棋力になると詰みがあるかどうかは見えてくるのですが,下手の棋力を見切って詰めろを意図的に見逃す荒業になります。プロ棋士でこれを用いるのはファンサービスの厚い棋士のみと聞きます。「詰めろ見逃しの詰めろ」とか傍観者もドキドキしますね。(絶対傍観者は口出ししてはなりません)

 

ところで,昨今マナーの悪い人が出ているようです。新参者に対する教育ができていないんでしょうか。対局中に口出しする人の話を聞きます。さらに酷いことにスマホで検索を行って口出しする方までいるそうです。もう,論外ですね。

野球場のヤジのようになっては一番面白いところが台無しです。 草将棋でも静かに観戦しましょう。

  

あ,コンピュータ将棋ではヤジが聞こえませんので,開発者同士は対局中結構ざっくばらんに会話をします。互いの工夫点などの情報交換が勝敗云々より一番面白いと思っていますし,当初から私が参加する主目的と言っていいでしょう。